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2012年11月30日金曜日

【音楽活動】ラフマニノフ交響曲第2番・曲紹介

パンフレットの曲紹介をTp・Koさんに代わって書きました。
ラフマニノフの伝記を読んで、益々ラフ2が大好きになりました。せっかくなので記録しておきます。

ボリジョイ劇場の指揮を務めていたセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは、ストライキや日露戦争後の不安定なロシア・モスクワを離れ、1906年(当時33歳)秋より家族と共にドイツ・ドリスデンで静かに過ごした。
2m ほどの長身で気難しい雰囲気を漂わす彼は、真面目で内に熱意を秘めているタイプだった。自然豊かなノヴゴロド地方に育ち、チャイコフスキーに才能を見出さ れモスクワ音楽院で学んだ。作品に特徴的に見られる和音は聖堂の鐘の響きを模したと言われ、伝統的な調整音楽の枠内で書いた。(モスクワ音楽院の同窓で一 歳年長だったスクリャービンの革新的な作曲語法とは対照的に言われる。)ロシアと偉大なる先人、人々を愛していた。
ロシア・モスクワが新しい時代を迎える苦しみの中にあるなかで、芸術家としての意識と、人々に対する責任を深く感じていた。 交響曲の作曲は1895年(当時22歳)第1番の悪評以来であったが、第2番は1908年1月・ペテルブルグでの初演、2月・モスクワ公演、ともに作曲者自身による指揮で高い評価を受ける。

モスクワ公演より・・・
≪第1楽章≫
彼の長い指のわずかな動きに従って、チェロ(とコントラバス)が最低音域でゆっくりと、やっと聴き取れるほどに呟き始める。トランペットとフレンチ・ホルンの陰気なファンファーレが響き・・・やがて聴衆は一心に彼の後から吹く夜の野原を歩いていた。
≪第2楽章≫
翼に乗ったようにスケルツォが舞い上がる。やがて思いがけなく風景が一変し、酔いにまかせた鐘がなり始める・・・悪魔の音楽。そして再び踊りだし、やっと腰を上げた冬の老いさらばえた声が遠巻きに威嚇しながら通り過ぎていった。
≪第3楽章≫
一面の白樺の衣を着た丘の上で、牧童の芦笛が静かに歌い始めた。するとその音色につられて、周りのもの全てが目を覚ましほほ笑みはじめる。水を満々とたたえた音楽の小川が生まれ、ひばりが暖かい風の作ったさざ波に話しかけ声高に歌った。
≪第4楽章≫
輝かしい音の饗宴。
交響曲が終わった時、衝動的にオーケストラが立ち上がり聴衆も総立ちとなった・・・(今日はどうなる?)
この交響曲を失意のうちにモスクワ音楽院を辞職した敬愛する恩師、セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフへ献呈した。

文献・ラフマニノフ≪ニコライ・D・バジャーノフ著、小林久枝訳≫